ご挨拶

初代が昭和36年に「和倉温泉信寿し」を開業し、ここまで商いをさせていただきましたのも、たくさんのお客様に支えられたからこそと、日々深く感謝をさせていただいております。
50年目の節目に町中を離れ、以前よりも大きな店を構え、より多くのニーズにお応えできるよう引っ越しをさせていただきました。

二代目として、若き職人、接客係が育ってきた今、大きなステージを与えることにより、一層、おもてなしと鮨道への心と技に磨きをかけ、能登に「信寿しあり!」と言われるよう、日々精進してもらいたい気持ちをかたちにしました。

しかし ただステージが立派なだけではいけないと思います。味、鮨道への心、素材への“こだわり”、守り続けてきた味と心を伝承させること、施設の清潔さ、接客の心得、礼儀作法等々、奥の深いおもてなしの流儀に取り組んでいかなくてはなりません。なにぶん未熟者の手前どもですから、これで信寿しが完成したわけではございません。

今後は「すし」にいろいろな付加価値をプラスし、人の持つ「五感」全てを刺激し感動へと導き、「これぞ 日本の寿司」を目標に掲げ、他に真似のできない寿司屋目指して日々精進努力を続けてまいります。
また、豪華な店舗でありながらも、価格に幅を持たせ幅広いお客様のニーズにお応えできるよう、各お部屋とカウンターには価格表示されたメニューも配置しております。

どうぞ このホームページをご覧いただき、興味がございましたら、ぜひ一度ご来店くださいませ。店員一同心よりお待ち申し上げます。

合掌

能登すしの庄 信寿し 代表取締役 刀祢 修(とね おさむ)

想い

  • 女将
  • 一生鮨道

初代 刀祢信一が和倉温泉に暖簾をあげたのが昭和36年の夏・・・

平成10年11月に他界した先代の後を引き継ぎ二代目となった。

当時37歳だった私にとって波瀾万丈のスタートとなり、落ち込む毎日が続いていた。
そんなとき、今は亡き先代の女将に「父ちゃんは、31歳で商売を始めてんぞ!もっともっと勉強して、肩の力抜いて自信もってやらなぁだめやがいねぇ~」母親としてか、信寿しの女将さんとしての言葉だったのか、私にとって人生を大きく揺るがした「神の声」となった。

先代の真似をする事よりも、味の伝承に全力を注ぎ、自分らしさを前面に出しながら、終わりなき職人の道を歩む硬い決心で「一生鮨道」を心に刻んだのは、この頃だった。
その後も、店舗改装、ホームページ作成、外装工事、法人化など次々と取り組みを続けていった。

そんなある日、常連さんから「金沢で開業してみないか?」と声をかけていただいたのが平成17年の秋だった。当然即答は避け、1週間後「私が金沢に行って握ります」と返事をした。身の引き締まる感覚と、いずれは激戦区で勝負をするべきと強く思っていたので、迷いはなかった。

それから6年後の平成23年の秋、和倉温泉街のまちづくりの一環と店舗規模拡大、事業拡大を実行に移した。旧店舗ではお昼のご注文の8割がちらし寿司であったこともあり、本業のにぎり鮨を優雅にゆっくりお食事いただけるように郊外へ移転、そして町中には能登地区初となる「海鮮丼専門店」を開店し、事業拡大を図った。

未熟者の手前どもですが、メニューの開発、各店舗でのミーティング、味の伝承、心からのおもてなしなど、それぞれがそれぞれの担当部署で努力を重ねています。能登すしの庄信寿しの堀納店長とは、十数年ともに仕事をしてきて、彼には大きな信頼を寄せています。

このホームページでは、信寿しの旬の魚介類、米、食材など全てにおいて手抜きしない、そんな仕事や屋敷の庭の様子を紹介し、来店前にも来店しても楽しんでいただける役割を果たしていければと思います。これからも伝承の味を守りつつ、技術面でも勉強し続けていく所存です。

信寿しのあゆみ

信寿しの歴史

初代 刀祢 信一昭和5年3月 七尾市三引町生まれ
 
昭和36年 7月初代 刀祢 信一 が和倉温泉に「信寿し」を開業
昭和36年 7月開店の翌日、二代目 刀祢 修 誕生
昭和48年 10月移転新築
昭和53年 10月二代目関東に修行へ
昭和60年 10月二代目 修行終え帰郷
 
平成10年 11月初代逝去(67歳)
 
平成11年 8月信寿しホームページ「nobuzushi.com」稼働開始
 
平成12年 10月店舗内外装リニューアルOpen
平成15年 5月信寿しを法人化
 
平成17年 10月金澤 信壽し 新規Open
 
平成23年 3月初代女将逝去(78歳)
 
平成23年 12月「能登すしの庄 信寿し」として移転Open
平成24年 2月海鮮丼専門店「能登海鮮丼 みとね」新規Open

topへ戻る